270年前に引かれた境界線が、
いまも谷を守っている
ポルトガル北部、ドウロ川の両岸には、急な斜面を段々に切り開いたぶどう畑が続いている。この景観は、およそ2000年にわたって積み重ねられてきたものだとされる。
1756年、当時の宰相ポンバル侯爵は、この地で作られる酒精強化ワイン(のちのポートワイン)の品質が乱れ、産地を偽った粗悪品が出回る問題に手を打った。栽培地域の境界を公的に定め、管理する組織を設立したのである。
境界線は言葉の上だけのものではなかった。花崗岩の標柱が335本、谷のあちこちに実際に打ち込まれた。「ここから先がドウロ」という線を、石という動かないもので示したのである。年代でいえば、イタリアのキャンティやハンガリーのトカイに次ぐ、世界でも早い時期の産地境界画定だったとされている。
この石積みの段々畑(ソカルコ)は、急な斜面に土を留め、少しでも多くのぶどうを育てるための知恵だった。手作業でしか維持できない急斜面が多く、いまも収穫の多くは人の手に頼っている。
2001年、アルト・ドウロ・ワイン地域はユネスコの世界遺産に登録された。評価されたのは個々の建造物ではなく、約2000年におよぶぶどう栽培という営みそのものが刻んだ、谷全体の景観だった。270年前に引かれた境界線は、いまも変わらずこの谷の輪郭を保ち続けている。
石の標柱が、産地の輪郭を守り続けている
出典:UNESCO World Heritage List(2001年登録)、For the Love of Port ほか。
産地を守るという発想は、決して新しいものではない。270年という時間をかけて、境界線そのものが土地の一部になった谷の話は、産地を大切にすることの意味を、あらためて考えさせてくれる。
境界を定め、守り続けることで谷の景観と味を保ってきたポルトガルの知恵。地球人倶楽部も、産地との結びつきを大切にした食材選びを心がけています。
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