石を割る音が、
女性たちの手に仕事を運んだ
アルガンの木は、地球上でモロッコ南西部の限られた乾いた大地にしか、野生の群生林を持たない。その実から油を搾り出す仕事は、何世代にもわたって、その土地の女性たちの手だけが担ってきた。
アルガンオイルができるまでの工程は、驚くほど手間がかかる。木から実を集め、天日で乾かし、外皮と果肉を取り除き、硬い殻を石で一つひとつ割って中の種を取り出す。食用にする場合はさらに軽く炒り、石臼で時間をかけてすり潰す。今も機械化が難しく、大部分が手作業のまま残っている。
この技術は、正式な学校教育の場で教えられるものではない。母から娘へ、手を通した模倣によって、非公式に伝えられてきた。殻を割る音、油が滲み出るまで挽き続ける根気。どれも、教科書には書かれていない知恵だ。
2014年、ユネスコはこの一連の知識と実践を「アルガンの木に関する実践と知識」として無形文化遺産に登録した。一本の木そのものを軸にした登録は、世界的にも珍しい部類に入る。
大きな転機になったのが、協同組合の広がりだった。かつては家族の中の無償労働だった女性たちの仕事に、正式な組合を通じた対価が発生するようになった。ユネスコが評価した保護措置には、こうした協同組合や協会を作るための法的・制度的な枠組みの整備も含まれている。一つの木の恵みが、地域の女性たちに直接的な経済的役割をもたらした形だ。
アルガンオイルは料理だけでなく、古くから薬や化粧品としても使われてきた。一本の木が、食べるものと、肌に塗るものと、体を治すものの境界をあいまいにしたまま、暮らしの中心に居続けている。
一本の木が、暮らしと仕事を同時に支えている
出典:UNESCO Intangible Cultural Heritage「Argan, practices and know-how concerning the argan tree」(2014年登録)ほか。
一粒の実を割るという、単純だけれど誰にでもできるわけではない手仕事が、地域の女性たちに経済的な役割をもたらした。技術そのものよりも、それを何世代も手渡し続けてきた根気強さに、この土地の食養生の芯があるように思う。
読者のみなさんの手元にある調味料や油の中にも、同じように誰かの丁寧な手作業が積み重なっているものがあるかもしれない。次にオイルの瓶を手にしたとき、その向こうにある手の動きを、少し想像してみるのも旅の一つの形だ。
※本ページでご紹介した統計は、各出典(本文中に記載)の公表時点のものです。
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