小さな自然食品店が、
"健康的"をブランドに変えた
1978年、25歳のジョン・マッキーと21歳のリニー・ロウソン・ハーディは、家族や友人から4万5千ドルを借り、テキサス州オースティンに小さな自然食品店「セーファーウェイ」を開いた。肉も、砂糖を使った食品も置かない。その頃のオースティンに多かった、カウンターカルチャーの若者たちのための店だった。
この店がなぜ生まれたのか、少し遡って考えてみたい。1962年、生物学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版し、農薬——とりわけDDT——が生態系と人体に及ぼす影響を告発した。60万部を超えるベストセラーとなり、のちのDDT禁止(1972年)や環境保護庁(EPA)設立にもつながる、アメリカの環境運動の出発点になった一冊だ。
この本をきっかけに、1960年代末から70年代にかけて、都市の若者たちのあいだで「土に帰る」という空気が広がっていく。サンフランシスコ周辺では1969年頃から「フード・コンスピラシー」と呼ばれる共同購入グループが次々に生まれ、玄米や全粒粉、農薬を使わない野菜など、当時のスーパーにはなかった"手つかずの食べもの"を、生産者から直接仕入れるようになった。1970年代末までに、全米で500を超える店舗と数千のグループがこの動きに加わったという。ジョン・マッキーがオースティンで開いた小さな店も、この大きな流れのひとつの現れだった。
2年後、別の自然食品店「クラークスヴィル・ナチュラル・グロサリー」と合併し、店名を「ホールフーズ・マーケット」に改めた。1980年9月20日、最初の店がオープンする。1992年には株式を上場し、全米に店舗網を広げていった。
ここで、面白い転換が起きる。もともとは反体制的な若者文化から生まれたこの運動が、90年代から2000年代にかけて、まったく別の顔で語られるようになるのだ。社会学者ポール・レイとシェリー・アンダーソンは2000年の著書で、環境や精神的な豊かさ、社会的な公正を重んじて暮らす人びとをアメリカの成人人口の4分の1、およそ5000万人と見積もり「カルチュラル・クリエイティブ」と名づけた。この層と、伸び続ける自然・有機食品市場との重なりに気づいたマーケターたちが、同じ頃に名づけたのが「LOHAS(ロハス)」——健康と持続可能性を軸にしたライフスタイル、という言葉だった。
手間をかけて選ぶ食には、当然ながら時間にもお金にも余裕がいる。1970年代の共同購入グループが担っていた"自分たちの手で選び取る"という営みが、洗練された店舗という形に置き換わっていったとき、それは自然と、教育水準や所得の高い層に担われる文化になっていった。ホールフーズがいつしか「Whole Paycheck(給料まるごと)」というあだ名で呼ばれるようになったのは、その象徴でもある。
"Whole Paycheck." 給料まるごと、の意——高価格帯で知られるようになった同社の愛称
そして2017年、アマゾンが137億ドル(1株42ドル)でホールフーズを買収する。創業からおよそ40年で、小さな自然食品店は世界最大級のテック企業の傘下に入った。アマゾンが買ったのは、単なる食料品チェーンというより、この文化そのものへの入場券だったのかもしれない。
面白いのは、ここからだ。イタリアが有機農地の拡大という「土」から始めたのに対し、アメリカの有機農地面積はいまも全米農地の1%に満たない——日本とほとんど変わらない水準だ。それでもアメリカの有機食品市場は2024年に716億ドル規模まで育ち、前年比5.2%増と、一般食品市場のおよそ2倍のペースで伸び続けている。
土地は動いていないのに、市場は動いている
出典:有機農地の割合=USDA「2022年農業センサス」(2024年公表、全米農地8.8億エーカーに対し認証有機は1%未満)、市場規模=Organic Trade Association「2025 Organic Market Report」(2024年実績)。
これは「農地を変えなくても、雰囲気だけで売れる」という話ではない。むしろ、消費者が「これを選びたい」と思う文化が先にあれば、農地の転換を待たずに市場そのものを動かせるという証拠でもある。イタリアが政策と生産者から始めたのに対し、アメリカは一冊の本と、若者たちの共同購入グループという、まったく下からの動きで始まった。同じ「有機を根付かせる」でも、道筋は一つではない。
この流れを生んだ土地の空気は、いまも部分的に残っている。ホールフーズが洗練された全国チェーンへと育っていく一方で、創業の地オースティンをはじめ、ポートランドやボルダーのような街には、共同購入グループの延長のような、小さな自然食品店やファーマーズマーケットがいまも息づいている。整えられる前の、少し不揃いな空気を感じたければ、大型店より、そうした通りを歩いてみる方がいいのかもしれない。
読者のみなさんの中にも、旅先でホールフーズや、その土地ならではの小さな自然食品店の店内を覗いたことがある方は多いのではないだろうか。所狭しと並んだ量り売りのナッツやドライフルーツ、レジ横に積まれたコンブチャ。あの店内の空気は、写真だけではなかなか伝わらない。
ホールフーズが体現したのは、「何を選ぶか」自体を暮らしの一部にする、という発想だった。地球人倶楽部の「土のこよみ」も、何が届くかを選ぶのではなく、その季節の畑からの便りをまるごと信頼して受け取る、という形を取っている。
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