第2回 有機農業について「循環」

2009年11月05日

前回は、アルバート・ハワード卿の自然の法則についての考え方を引用しながら、土壌からはじまり植物、動物、人間が大きなひとつ鎖の環で結ばれてい ることをお話しさせていただきました。土壌の健康が最後の鎖の環である人間に、大きな影響を与えていることをご理解いただけたものと思います。まさしく有 機農業の本質とは、ひとことで「健康な土壌をどのようにつくりあげてゆくのか」ということになります。豊かで肥沃な土壌、生命力あふれる土壌とはどのよう にして作られてゆくのでしょうか‥・。
今日は皆様を森の中からご案内したいと思います。
  森の中の木陰をゆっくりと歩いて大きな木の傍らに立ち、落ちている小技をひろって木の下を軽く掘ってみると、そこには朽ちた葉っぱや木の小枝、花などから なる多量の落ち葉がフワフワとした状態で堆積されています。そしてさらに掘り進めると、そこには昆虫や小さな生き物がいることがわかります。
森林は植物の他にもこうした数百万のさまざまな生き物が住み家としており、それらの排泄物や死骸が、描物の落葉とともに土壌の『腐食化』に多大な貢献をしているのです。
  木の葉が枯れ落ち、小枝が風に折られ、樹木の幹が倒れて横たわり、動植物たちによって徐々に食いつくされる。やがてこれらの微小な動植物たちも死を迎え、他の有機廃棄物とともに地上に集積する。そしてミミズや蟻がこれら地上に集積した腐食物を運び去る。この集積された蓄積物が腐食化されてゆくプロセスこそ が、新しい生命の発生(誕生)の始まりであり、自然の循環の法則を導きました。

自然の循環の法則とは、

発生
(誕生)
成長 成熟 腐食化 発生
(誕生)
成長

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  私見ではありますが、「自然」という言葉はこの循環とイコールであり、仏教でいう輪廻とは、この自然の循環のことであり、エコロジーという言葉もこのことを指しているのではないかと思っております。豊かで健康な土壌は、この様な自然が行うゆっくりと緩慢な長い時間の中で作られてゆくのです。

  焼畑農業というものがあります。古くから、また現在も世界の多くの所で行われているひとつの方法です。ジャングルを焼き払うことによって開墾する。そうす れば灰がその場に残り、焼けた植物が含んでいるいろいろな成分が作物の肥料となり収穫をあげることができる。短い期間の中で、土壌から肥料となる栄養分を 吸い取ったあとは、その土地を捨て、他へ移動してゆく・‥。この移動式農業が焼畑農業です
アマゾンの流域では、現在も行われ多くの問題を生み出しています。この方法の問題点は、循環のサイクルを完全にストップモーション化してしまうということです。焼き払うことで森林の最良の部分は破壊され、大自然がそこに再び雑木林や森林を再生させることはありません。雑木林や森林のなくなったところに腐食 化の進行はなく、循環のサイクルもないのです。土壌の力を使い尽くして、用を果たさなくなったらその土地を捨てて他へ移る。というのは、自然の使い捨て状 悪といえるかもしれません。
森林が再生されない、という言い方は間違っているかもしれません。長い年月の中で、循環のサイクルが回復することもあるかもしれません。しかし、とてつも なく長い時間を必要とし、少なくともその事実を今生きている私達が知ることは無に等しいということは想像にかたくはないのです。

  岩手県に田野畑村という場所があります。北上山系の最深部。盛岡あたりの人に言わせれば、「あそこは日本のチベットだよ」という答え。ここに吉塚公雄とい う男がいます。東京農大を卒業後、恩師である楢原教授の提唱された山地酪農の実践を志し、21年前に田野畑村に入植したのです。山地酪農とは、簡単に申し 上げれば、日本の国土の7割といわれる山を自然のサイクルの中で最大限に活用するというものです。山に牛を放牧し、山の下草を牛が食べ、湧き水を飲み、糞尿を土に返す。山を歩くことにより、牛の足腰も丈夫になり、自然分娩、子牛の自然保育も可能になるというものです。現在行われている酪農とは正反対のやり 方といえます。私は何年か前、彼と知り合うことになり、その後何度となく親しくさせていただいています。少し彼の話をさせていただくと、彼は21年間、も う今年に入って22年目ですが、最初の15年間は電気もなく、6年前にやっとろうそくの生活から脱出したということです。結婚した8年前にはその月末に農協から諸経費を差し引いて700円の現金しかなかったということです。


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現 在も何ら状況は好転しておりません。22年の間、一人で山を開拓し(後に奥さんと子供たちと)、生産性(乳量)の上がらない山地酪農の実践の年月は、回り の酪農家たちからの厳しい批判と中傷の年月でもありました。最初会ったとき、粗末でそして小さな雪にうずもれてしまったかのような彼の家の中で、向い合って話し合った時、私は言葉を失ってしまいました。金もなく、財産もなく、そして大きな借金.控えめで少し頼りなげな話し方。過酷な自然との戦い、志をもった男のすさまじい迫力に何も話すことはできなかったのです。それは畏敬の念そのものでありました。
  昨年の9月に吉塚氏からもらった手紙があります。この手紙を皆様にご紹介し、循環と.いう考え方をよくご理解いただければと思います。

(原文ママ)
井上様
  前略 酷暑の夏も峠を越え、牛も人間も革も木も、-息という季節になって参りました。8月8日付
中洞氏宛のお便り、そして9月7日付 宅急便での○○とお便りを有難く拝受、拝読させていただきました。そしてありがとうございました。
21年前に私が田野畑村に来た頃は、時代的にも環境問題(東京の光化学スモッグ程度)とか、自然とか農の原点とか話しても、誰も聞く耳はもちませんでした。時代の流れは変わっても、自分たちの生活や命が脅かされるようになるまで、本当の反省などできそうもない人間の愚かさを感じる次第です。
  地球という星の特殊な奇跡的な生命の存在。地球の四季、この特殊な、小さな範蹄だけに許された命の存在。大自然や太陽に対する畏敬の念など、先進国ほど忘れてしまっています。静かに自然をみつめる時、自然は答えてくれます。如何に生くべきか。農の世界は、太陽と大地が敗れたらウソになります。生産物の増収 に目を向ければウソになります。大地と太陽と両方の関係が、その土地の潜在生産力を左右しており、それを生産の基準に考えることなく、不自然に増収や増益 に目を奪われ追及することは永続性の崩壊の始まりと言えるのです。つまり、農業の崩壊です。10数年後の地球は、人ロと農地の扶養力が逆転し、食料危機の 時代になるといわれております。何でも金で買えると思う意識も反省し、じっくりと静かに自然に目を向けなければならない時代だと思います。
素晴らしい○○本当にありがとうこざいました。また、ご来訪、歓談の桟会があれば幸いです。山粟が落ち始めました。子供たちに拾わせたいと思います。
ではまた。

草々        志ろがねの牧   書塚公雄

 付け加えることはありませんが、循環とは言い換えれば連続的であり、永続的と言い換えることもできます。焼き畑農業と吉塚氏の生き方、この2つをお話しして、有機農業についての築2回を締めくくらせて頂きます。

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