第8回 有機農業について「食料自給 について」

2009年11月05日

本年1月の阪神大震災より現在に至るまでの世情不安の状況は、皆様にも深くご心痛のことと存じます。
戦後50年、私たち日本人が一生懸命頑張って営々と築き上げてきた社会が、ここにきて何かガラガラと音をたてて崩れてゆくような気が致します。政治も経済 も、そして日本が世界に誇れるものであった安全で安心な図のイメージまでも失うことになろうとは誠に残念です。いま、私たちは立ち止まり、過去から現在ま でをもう一度みつめ直し、そして未来への一歩を踏み出さなければならないのではないか。私たちの社会は何を得て、なにを失ってしまったのかをじっくりと考 える時がきたのではないでしょうか。
「本当の豊かさとは何であるのか」、そのことを国も企業もそして個人も考えなければならない時がきたと思っています。

 先日、新聞の片隅に1994度「農業白書」についての記事が紹介されていました。この中で私たちの関心は或る1点に集中しておりました。その関心、食料自給の問題について、ここで一度皆様とともに考えてみたいと思います。

  白書によりますと、1993年の日本の食料自給率は37%にまで低下したと報告されています。1992年は自給6%でしたので、1年で約10%も低下した ことになります。先進工業国の中で、自国の食料自給率をここまで低下させている国は日本だけで、極めて異常な数字であると認識しなければなりません。現左 は1995年ですので更に自給率は低下したと思われ、私の予測では25%位ではないかというところです。
  日本は貿易黒字が大きくて因っているのだから、食料もどんどん輸入して世界に対して貢献すればいいんじゃないか、日本農業はもともと土地も狭く競争力もない、補助金ばかりだして守るよりも安い外国の食料を輸入してゆけば良い、という考え方が現在の主流で、その結果が世界最大の食料輸入大国・自給率25% (個人的予測)ということになっているのです。
  私達の主食であるお米や魚、野菜などが比較的にそれぞれ自給率が高いこともあって、生活者の皆様には自給率の低下と言われてもなかなかピンとこないのが実 情だと思いますが、それ以外の食料については急激に輸入が増大しているのです。日本人の伝統食、豆腐や味噌、また様々なところで使われている大豆も現在で は輸入品97%国産3%という比率です。日本で作られているお豆腐や醤油、味噌等々の商品が外国産の大豆によって製造されていることがよくお解りになると 思います。
現在日本で販売されている多くの食料品というものが、国産であるけれども原料は外国産であるという不思議な構造なのです。

yuki08b.jpg

  日本における食料輸入の最大のものは、穀物飼料と言われるもので年間4000万トン~4500万トン輸入しています。これだけの穀物飼料を国内で生産する と著しく割高になりますし、もちろん農地もありません。畜産物のコストにしめる飼料費(エサ代)の割合は、豚で50%、鶏卵53%、ブロイラー67%と半分以上がエサ代ですので安い輸入穀物綱料食べさせざるをえない、という訳です。
このように畜産物についても国産といわれる牛、豚、ニワトリもそのほとんどが外国の飼料を食べているのです。ちなみに現在輸入している飼料、穀物、麦類、 とうもろこし、コウリャン、大豆、なたね等を国内で生産しようとすれば1200万ヘクタールもの農地が必要になります。日本の農地総面積は、520万へク タールですから約2倍強に相当するわけで、基本的に国内生産の考え方はとれないのです。
世界が平和で、輪出国と輪入国との関係が農業の国際分業という形で成立し続ければ大きな問題には発展いたしませんが、それがどうもそうはいかないという雲ゆきでもあるのです。

  皆様もよくご存じのことと思いますが、現在56億と言われる世界の人口は、今後更に増え続け2000年には62億~63億に達すると言われています。この増加分の95%は発展途上国であると予測され、途上国では、この増え続ける人口を養う食料増産は難しく、途上国での食料不足は深刻化するというのが大方の 一致した見方です。
  日本が現在のように大量に食料を輸入し続けるにあたり、この世界の人ロの急増はどうしても考えておかなければならない問題であると思っています。日本が食 料自給率を低くして外国から大量に輸入することが近い将来、食料不足、いや飢餓に脅かされるであろう途上国の人々から食料を奪うことになりかねないことを 認識していなければ、日本は国際貢献どころか世界中から非難されることに立ち至るのです。
 さて、食料自給の低下にともない予測されている危機が現実のものとなった場合、日本の食料はどうなるのか。農水省はいざというときの国民1人あたりの所 要カロリーを1日2000キロカロリー(現在の1人あたりの所要カロリー/2600キロカロリー)と設定し、食料自給体制2000年をモデルに次のように 計画しているようです。

第1に、総面積が約520万へクタールとみられる耕地の利用率を1960年(昭和35年)当時の130%までに引き上げる。
第2に、イモ頼などの単位面積あたりの熱量効率の高い作物の生産量をあげる。そして穀物飼料を多く必要とする豚やニワトリの飼料頭数を減らして、草や農産物の残りで飼育することのできる馬や牛に切りかえる。
第3に、現在、養殖の飼料にされているイワシなど多獲性の魚を食用に回す。

これらの手をつくせば、1億3119万とみられる2000年の日本人に、おおむね昭和30年代と同じ水準の熱量、タンパク質、脂質を自給できると農水省は推定しています。その場合、
米の1人あたりの消費量は昭和40年~45年当時を平均した、およそ100kg程度と試算されています。1991年の日本人のコメ1人あたりの消費量は、 約70kgで、現在は60kg台に落ちていると思われます。以上のようなことが農水省で考えている2000年の自給体制の概要です。
  皆様は、このような話についていかが思われるでしょうか。現実的ではないと思われるかもしれませんが、2000年にそうはならなくても2005年には必ず 起こってくる現実であると私は考えています。会員の皆様もそろそろおイモさんを食べる訓練とか、卵を減らす食生活、パン食をやめ、お米を年間100kgま で食べる習慣を油断なくお始めになり、昭和30年代の食生活を知る人にきいてその時に備えようではありませんか...?
今のところは冗談で済まされますが、冗談が冗談ではなくなることが予測されるだけに心配なことです。

  さて、話は変わりますが、そもそもこの食料自給に対する考え方は、食料安保ともいうべき考え方に立つべきものです。特にヨーロッパ大陸などのように国と国 が地続きであって長い歴史の中で、侵略されたり、したりといったことですから自国の食料を他国に依存しお願いするということは平和な状況であってこそ可能 なわけで、ひとたび平和が崩れたときは、自国の生命線を他国に握られることになるわけですね。そのため各国は古い昔から食料自給については最大の重要事と して、農業を育成し、現在ほぼ100%の自給率を持つに至っているのです。ヨーロッパの中でもイギリスだけは、自給率が過去に低い時代があり、50%あた りまで落ち込んだようですが現在は85%~90%にまで回復させているようです。
イギリスの自給率の低さの原因は、過去の植民地政策等によるもので、植民地に多くの食料を依存していたことによるものです。第2次世界対戦後はご存じの様 に植民地の大半を失い、食料を外国より輸入しなければならない状況がしばらく続きましたが、その間政府がイギリス農業を徐々に立て直し、現在の自給率まで 回復させてきたのです。蛇足ながら、あの鉄の女サッチャーさんが首相であった時代に、国策として、農業を化学農業から有機農業への大転換を実施したことも 付け加えたいと思います。そのこともあってイギリスは、他国からの食料が一粒も入ってこない状況になっても自給できる体制を作ることが出来たのです。

  わが国日本は、過去に他国より侵略されたことは1度あったかなかったかということで、食料に対してヨーロッパのような考え方は育たなかったといえます。ま た、四季折々の豊かな海の幸、山の幸に恵まれ、また米というものもあったこともあり、自然の形で自給自足体制が維持できたこともあり、食料安保論的な考え 方は持ち合わせていなかったのです。従って現在のように自給率をここまで下げても、あまり危機感がなく、平然としていられるのだと思いますが、そうであってもイザ鎌倉となった時、昭和30時代に食生活の水準を落とさなければならないというのではあんまりじゃありませんかと苦言を呈したくなるのは私だけではないと思います。
 また一方、自給率の低下は、日本の農業を壊滅状態へと向かわせていることは明らかなことです。食料安保論的耕地面積は、年々減り続け、500万へクター ルをきるのは時間の問題となっています。また、農家の減少傾向にも歯止めはかからず、中山間地の村々は過疎化現象を更にスピードアップさせ、1970年に 14万3400か所あった農地と集落は、1990年に14万へと3400カ所もの集落が放棄ないし壊滅しているのです。

yuki08c.jpg

  最初に、戦後50年が過ぎ、私たちは立ち止まり、自分たちが正しいと信じ作り上げてきた社会をもう一度見つめ直さなければならないと生意気なことを申し上 げましたが、農業についても本当に今のままでいいのかどうか一人一人が真面目に考えるべきではないか...。確かなことは、国民の生命を支えるものは農薬であり、国家は農業を有力な基盤とする無数の地域社会の上に成り立っているという事実です。
農業と地域社会が揺らぐ時、社会はその安定装置を欠き、人の心も乱れてゆくのではないでしょうか。
その実例を私達は古くはギリシャ・ローマ時代の歴史から、また昨今の国の内外に多く学び見ることができるのです。
成り行きに任せて自給率を下げるのか。農業を維持する為、社会は相応のコストを負担するのか。今、国民の選択が問われているのです。選択の鍵を握るのは国家でもなく、農業生産者でもなく、生活者の皆様のお一人お一人であることは間違いのないことなのです。

PAGE TOP

Chikyu-jin Club

Copyrights(C)2005-2009 株式会社プロップスジャパン All rights reserved.