コラム
カルデラの底で、春を育てる。 ── 北海道赤井川村・滝本農場、4代120年の誠実さのこと
春になると、一斉に芽吹くものがある。
雪解けの大地をまっすぐに突き破って、青々とした穂先を空へ向けて伸ばすアスパラガスは、北海道の春を告げる野菜だ。1日で10センチも伸びることがあるというその生命力は、長い冬を越した大地のエネルギーが、一気に放たれるときの姿でもある。
ただし、そのアスパラガスの「来た道」を知っている人は、まだ少ない。
スーパーのアスパラガスが旅してきた道
日本で食べられるアスパラガスの多くは、国産だけではない。国内産が少なくなる秋から春先にかけて、オーストラリア、メキシコ、ペルーなどから輸入されたアスパラガスが食卓に並ぶ。
長距離を輸送される農産物には、鮮度を保つための処理が施されることが多い。防カビ剤や農薬の問題は果物だけではなく、野菜にも同様の課題がある。さらに、中国産の冷凍アスパラガスについては、過去に残留農薬の基準超過が検出された事例も報告されている。
国産であっても、慣行栽培では複数の農薬・化学肥料が使われているのが一般的だ。スーパーに並ぶアスパラガスは、あたりまえのように年中手に入るが、その価格と手軽さの裏側に、何が隠れているかを知っておくことは、食を選ぶ上でひとつの力になる。
火口湖が育んだ、日本で唯一の村
北海道余市郡赤井川村。札幌から車で約1時間の場所にその村はある。
ここは、約1万年前の羊蹄山の大噴火によって生まれた、カルデラ盆地だ。かつては火口湖として水をたたえていた大地が、再び羊蹄山の噴火時の大地震でカルデラの一角が崩れ、水が流れ出してできた盆地。周囲360度を山に囲まれた、日本で唯一の「カルデラの里」を自称する村だ。
この地形が、野菜に特別な力を与える。
噴火で堆積した火山灰が長い年月をかけて分解された肥沃な黒色土壌。周囲を500メートル以上の山に囲まれることで生じる激しい昼夜の寒暖差。北海道の5月は昼間25度、夜は10度以下になることもある。このギャップが、アスパラガスに昼間たっぷり光合成させ、夜には養分を逃がさず蓄えさせる。甘みが凝縮される、自然の仕組みだ。
さらに、山々に残った雪が解けた清らかな水が大地を潤し、アスパラガスにみずみずしさをもたらす。カルデラという隔離された環境は、害虫や病気も入りにくく、農薬を使わない有機栽培に、これ以上ないほど適した場所でもある。
明治36年、徳島から渡った先々代の決断
滝本農場の歴史は、1903年(明治36年)に始まる。
先々代が徳島県神山町から北海道へ渡り、この赤井川村の地を開墾したのがその出発点だ。以来120年以上、4代にわたってこの大地で農業を営み続けてきた。美しい自然と清潔な空気と水に囲まれた環境の中で、「安心・安全」を基本に野菜をつくるという姿勢は、代を重ねても変わらない。
現在の3代目・滝本和彦さんが有機栽培に踏み切ったのは1995年のことだ。化学肥料も農薬も一切使わない栽培を始め、2001年には有機JAS認証を取得。以来、農場の5.6ヘクタールすべての圃場で、農薬も化学肥料も使わない有機栽培を続けてきた。
和彦さんの土づくりへのこだわりは、独自の肥料配合に表れている。発酵鶏糞、米ぬか、魚粕、粉炭——それらを組み合わせた自家製の肥料で、毎年「おいしい」と言われるアスパラを育ててきた。カルデラの肥沃な土壌のポテンシャルを、さらに丁寧に引き出すための、30年にわたる試行と積み重ねの産物だ。
そして現在、4代目の滝本雄太さんへとその志は受け継がれている。
収穫まで5年。アスパラガスという、待つ野菜
アスパラガスは、急かせない野菜だ。
苗を植えてから、最初の2年間はまったく収穫をしない。地下茎をしっかりと育てるためだ。3年目にはわずか1週間、太いものを少しだけ収穫する。4年目でも2〜3週間。5年目以降、ようやく1ヶ月〜1ヶ月半の通常収穫ができるようになる。
一般的にアスパラガスの栽培寿命は7〜8年とされているが、滝本農場では10年以上経った株でも立派なアスパラを生み続けている。地力を急いで使い切らず、土と株を丁寧に育て続けてきた結果だ。
これが有機栽培との相性の良さでもある。化学肥料で根を急いで育てるのではなく、土壌生物が豊かな有機の大地でじっくりと根を張らせることで、株の寿命が延び、結果的に長く、質の高いアスパラを収穫し続けることができる。
収穫は、日の出前の早朝から始まる。アスパラガスは収穫後も呼吸を続け、時間が経つにつれて甘みと栄養が失われていく。だから手を緩めない。暗闇の中で、丁寧に、ひとつひとつ。
「貴婦人」と「貴公子」と「紫宮女」——3色が語ること
滝本農場では、3種類のアスパラガスが育てられている。それぞれに、滝本さんが付けた名前がある。
「カルデラの貴婦人」——ホワイトアスパラガス。
日光を遮る特別な栽培方法(軟白栽培)で、土を寄せながら白いまま育てたアスパラだ。早朝の収穫で暗闇の中に輝くその姿が、真珠のように見えることからこの名がついた。甘みが強く、上品でやさしい味わい。ヨーロッパでは春の風物詩として古くから愛され、ドイツやオーストリアでは旬のホワイトアスパラの解禁日が国民的な喜びとされているほどだ。
「カルデラの貴公子」——グリーンアスパラガス。
太陽をたっぷり浴びて育つ、力強い香りと旨みが特徴のアスパラ。有機栽培ならではのしっかりとした甘みと歯応えが、鮮やかな緑色の中に宿っている。
「カルデラの紫宮女」——紫アスパラガス。
滝本農場でも収穫量が非常に少ない、希少な存在だ。グリーンアスパラよりも甘みが強く、柔らかい食感が特徴。ゆでると濃い緑色に変わり、その色の変化も美しい。
3色それぞれが、同じカルデラの土と水と空気から生まれている。そして共通しているのは、えぐみがまったくなく、後味がきれいだということ。化学肥料や農薬に頼らず、大地の力だけで育てたアスパラガスが持つ、素直な味わいだ。
春の細い芽に、凝縮されたもの
アスパラガスの名前の由来は、ギリシャ語で「たくさん分かれる」「激しく裂ける」。その名の通り、地下茎に蓄えられた膨大な栄養を一気に放出して、春の芽は地面を突き破る。
その細い芽の中に、なにが詰まっているか。
アスパラギン酸——アスパラガスから発見されたアミノ酸で、疲労の原因となる乳酸を分解し、エネルギー源であるグリコーゲンの生成を助ける。疲労回復・スタミナ増強効果で知られ、栄養ドリンクの成分としても有名だ。
ルチン——穂先に多く含まれるポリフェノールの一種。毛細血管を丈夫にし、高血圧・動脈硬化・脳卒中など血管に関わる生活習慣病の予防に効果があるとされる。ビタミンCの吸収を高める働きも持ち、抗酸化・アンチエイジング効果も期待できる。
葉酸・βカロテン・カリウム・食物繊維——妊娠期に特に注目される葉酸、免疫を支えるβカロテン、塩分排出を助けるカリウム、腸内環境を整える食物繊維と、春野菜の中でも栄養の密度は際立って高い。
そして、これらの栄養成分は「茹でても比較的流出が少ない」のがアスパラガスの特長でもある。ただし、鮮度が命——収穫直後の生命力が、食卓に届くまでに失われないよう、早朝収穫後すぐにクール便で産地直送される意味が、そこにある。
「カルデラの里」と呼ばれる、360度山に囲まれた孤高の盆地。その地を120年前に選んだ先々代から、土を愛し続けてきた3代目、そして4代目へ。
農薬も化学肥料も使わないと決めた1995年から、積み重なってきた年月がある。5年待って、ようやく収穫できるアスパラガスの生命力は、その土と時間の分だけ、穂先に宿っている。
監修者:地球人倶楽部 編集部